太一って、何?
太一とは「私たちの故郷」です!
根っこは、みな同じ
根源の一点で心くつろがせる
「太一って何ですか? 人の名前ですか?」
サークルに来られた方から、こう聞かれることがあります。
「いえいえ、TOKIOのメンバーの国分太一でもないし、いわんや私の名前でもありません。
元々は易経とか道教の最高神に由来するとされる結構、由緒正しい言葉なんですよ。
意味は“宇宙の根っこ”ということです。「太極」という言葉と同義ともされます。
まあ、難しいことはさておき、古い易経という経典の中に『易に太極あり、これ両義を生ず。両義、四象を生じ、四象、八卦を生ず』というのがあります」
「要するにこれは、始源なるものが陰、陽に分かれ、それが次々に変化の道筋を辿って、いま現在の様相がある、ということなんですね。陰が極まれば陽となり、陽が極まれば陰となる。物事は生成流転して極まりがないのですが、元を逆に辿れば一点の太一になる。
太極拳でおなじみの太極図も、この理(ことわり)を現わしているんですね」
「直観的に、素直に考えてみれば、私たちが今こうしてあるのも、
その前に、永い永い無窮の時の流れ、進化の道筋があったればこそで、
その時の流れを遡り遡っていけば、根源、始源のただ一点があったはず
です。
ということは、今ここにこうして生きとし生けるもの、動物も植物も、
いや土くれや石ころさえも、始まりにおいては皆同じ仲間であった、同
じところから出発したものであったということができると思います。
我々は、いまこうしてお互いに違うけれども、顔や体つきが違ったり、
動物や植物という違いがあったり、人間と石というように存在の形を違
えていても、その根のところにおいては皆同じであった、と、こういっ
てもいいのではないかと思うんですね」
「私にとって気功とは、つまるところ、天地宇宙と一体になる、始源
つまりは私たちの故郷に戻ることだといえます。では、なぜ太一、太極
に戻るのか、遡るのか、それはそこに真理があると思うからです。そう
信じているんですがね」
「齢をとると小難しい理屈を振り回していけませんが、そんなことは
頭の片隅の、それこそ“一点”にでもおいて、ただ気持ちよく気功をし
ていれば、なんとも心が澄みわたり、えもいわれぬ境地に時として至る
ことがあります。
そういう瞬間に浸れるときは、あ~、気功をしてよかったな、としみ
じみと思いますね」